Mousam Gurung
モウサム グルン
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チベットについて

チベットは、豊かで美しい土地、チベット高原、古代の仏教文化、素晴らしい景観、芸術的な修道院がある、
世界でも美しく神秘的な場所のひとつです。そして、「立ち入りが制限された特別な場所」です。
※現在チベット自治区では、原則として個人での自由な旅行は禁止されています。(2013年)
旅行をするには、旅行会社でツアーに申し込み、チベット自治区観光局の発行する「入域許可証」を取得する必要があります。

チベット自治区は、平均標高4000mの高原に位置しています。
北から南へとヒマラヤに囲まれるため、世界の屋根とも呼ばれ、中国の標高 高い場所に位置しています。

地理的に、チベットは、3つの主要部分、東部、北部、南部に分けることができます。
東部は、土地の約4分の1を占める森林地域です。
北部は遊牧民とヤクや羊が住む開かれた草原です。
この部分はチベットの約半分占めています。
南部と中央部は、チベットの土地面積の約4分の1占める、農業地域で、すべての主要なチベットの都市や町、ラサ、シガツェ、Tsetangなど、チベットの文化の中心地となっています。

総面積は120万平方kmで、人口は189万。
地域は行政1自治体と6県に分かれています。
6都道府県は シガツェ、ガリ、Lhokha、チャムド、Nakchu、(Kongpo)となります。


チベットの歴史:

チベットの歴史は、数千年をさかのぼることができます。
7世紀、Songtsan Gampo[33番目のチベットの王]が、インドへ大臣Sambhota をサンスクリット語を勉強するために派遣したことが記されています。現在のチベットの記述方法は、サンスクリット語に基づいています。
チベットの歴史は、Nyatri Tsanpoから始まる4期に分けることができます。

【吐蕃国時代】
この期間中は、合計42の王朝が頂としてチベットを支配していました。 Songtsan Gampo[33番目のチベットの王]は、チベットを統一した、傑出した支配者でした。ラサに首都を変更し、サンスクリット語を勉強するためにインドにSambhotaを送り、到着時にはチベットのために記述を公布し、唐の王女Wenchengとネパールの王女Bhrikuti Deviと結婚しポタラとジョカンを構築しました。
ラングダルマの暗殺後、紀元前842に始まる地方分権の時代は1260年頃 フビライ ハン、元朝の初代天皇の臣下となったことでおわります。

【モンゴルによる支配時代】
13世紀、モンゴル族の指導者、チンギス・ハーンが中国北部にモンゴル帝国を建国しました。中国を支配下に置きます。その脅威はチベットにも及び、チベットはモンゴルの支配を受け入れることになり、モンゴル(元朝)の支配者たちはチベット仏教に感銘を受け、チベット仏
はモンゴルに広がります。

【ダライラマ政権】
16世紀、チベット仏教のゲルク派指導者ソナム・ギャンツォがモンゴルのアルタン・ハーンから「ダライ・ラマ」の称号を贈られます。ここに政教一致のチベット政権が誕生しました。
隣国の王朝は満州族の清へと変わり、ラサに清の大使が置かれることになるが、清朝皇帝は熱心なチベット仏教信者であったため、大きな変化はなく、チベットは非武装化されていきます。

【ダライラマ13世の時代】
鎖国政策をとりますが、インドを植民地支配したイギリスがチベットに侵攻し、1903年、チベット軍はイギリス軍に敗北し、ダライラマ13世はモンゴルへ亡命します。
チベット政府はイギリス政府でラサ条約を結び、チベットに対するイギリスの保護権が確立されました。1906年、清はイギリスと英清西蔵条約を締結、宗主権の回復をはかります。1951年に終了しチベットは解放されたときに自治区が設置されました。